なからなLife

geekに憧れと敬意を抱きながら、SE、ITコンサル、商品企画、事業企画、管理会計、総務・情シス、再び受託でDB屋さんと流浪する人のブログです。

常識なんて、人の数だけあるものです。


前提を共有しないコミュニケーションほど不毛なものはないですね。


合意したと思った事柄が、全然違う意味でとらえられてて、先に進んだところで「何それ〜」とか。
感情的なシコリが残って、しかも手戻りが発生して、全体スケジュールも遅れて、いいことなし。


もっと時間をかけて確認すればよかった、っていう反省が出たりするんですけど、
そもそも、前提の共有が甘い、ってところに起因してたりします。
前提を共有してない限り、どれだけ時間をかけたって、出てくる答えは大差なかったりw


会議の中で、前提を共有していないが故にかみ合わないまま、対立軸だけが生まれてるケースがあります。
空中戦、とか、地に足がついてない、とか表現される、アレですね。
会議に来る前の前提の確認どころか、今その場で話題にしていることすら共有できず、質問に違うテーマに関する質問で返してきたり。


「XXについて、どう思いますか?」
「そもそもさあ〜」
「そういえばこっちの件はどうなんてんの?」


よく見る光景です。


「そもそもさあ〜」のほうは、
「今はこの範囲の話してんの!聞いてなかった?」
っていう、受け手の問題のときと、
「何言っているか、ほんとに分かんないんだけど。順を追って進めてくれない?」
っていう、話し手の問題のときがあります。


「そういえばこっちの件はどうなんてんの?」
については、受け手の問題のときのほうが圧倒的に多いですね、経験的に。


「暗黙の了解」っていう言葉がありますが、
長く一緒に仕事をしている間柄だからといって、前提が共有できているかというと、意外とそうでもない。
人の出入りが多いところであれば、なおさら。
外部の人に何かをお願いするのであれば、なおさら、なおさら。


自分の中で常識だと思っているがゆえに説明を省略してしまうケースがほとんどだと思います。
自分の中の常識って、ほとんど無意識かされてる。そこについていちいち考えない。
自分にとって、その先を考えるための土台になってるから。
でも、無意識でやってしまうことは、改善するのが難しいと思います。



だからこその心構え。
「常識なんて、人の数だけあるものです。」


最近、「ぉいぉい、おまいら、それくらい知らんでどうする」って憤ることしばしば。
でも、対話は1人でやるものではないから、こちらにも原因があるかなということで、自戒エントリでした。