生産性について一言いってみるか
生産性とは、単位コスト(生産資源=原材料/労働力など)あたりに
どれだけのアウトプットを出したか、ってことだよね。
生産のために投入される労働・資本などの生産要素が生産に貢献する程度。
生産量を生産要素の投入量で割った値で表す。三省堂提供「大辞林 第二版」より(goo辞書)
これが、「ホワイトカラーは生産性が低い」って散々言われているわけです。
でも、結構腑に落ちないことが多いのです。
休みなくバリバリ仕事して、
それこそネットサーフィンなんてまったくする余裕もないまま朝から終電まで働き詰めて、
それなりにアウトプット出しているのに、
世間様からはそんな目で見られている。
なっとくいかねー。
で、ふと思ったこと。
ホワイトカラーの個人の生産性は、実はそんなに低くないんじゃないか?
ライフハック的なものも盛り上がっているし、色々なツールもどんどん出てきて、
個人の作業における生産性は高まっているはず。
IT業界において、開発支援ツールの発展の目覚ましいことは、
その恩恵にあずかっている人は実感しているはず。
じゃあ、何が悪いのか。
個人じゃなく、組織の生産性が低い。著しく低い。
つまり
- 権限委譲ができてない/承認権限が一部の人間に集中しすぎ
- 承認権限が、詳細を理解できない人に与えられている
- 承認プロセスが長すぎる(中間承認者が多すぎる)
- 承認プロセスを無視した横槍が多すぎ
といったことです。
権限委譲が進んでおらず、一部の人に集中していると、
決済すべき案件が大量になったときにタイムリーに捌ききれず、
作業が停滞し、そのフォローのための仕事が発生する。
承認権限が、詳細を理解していない人に与えられていると、
決済に必要な理解を促すことに、時間と労力を生み出すことになる。
承認プロセスが長いと、
それはイコールでタイムロスの発生源となる。
承認プロセスを無視した横槍が多すぎると、
承認プロセスに正しくのせるのがバカらしくなる。
だけでなく、正規の承認プロセスにのせる以外に、
話が頓挫することを避けるための根回し活動に労力をかけることになる。
結局、直接目的としているものを生産する以外の活動に、
恐ろしくムダなコストを払っている。
それこそが、生産性を著しく押し下げている原因。
そう思ったわけです。
製造業は日本の中でも比較的生産性が高いって言われている。
それって、上層部で意思決定された後は、
ホワイトカラーと比べ、生産現場で都度意思決定が必要な場面が少ないからなんじゃないのかなと。*1
目標に向かってぶれることなく邁進できる状態で仕事が降りてきているからなんじゃないのかなと。
どっちがよいとか悪いとか、優れているとか優れていないとかじゃなくて。
じゃあ、ホワイトカラーへのタスクで、
意思決定が必要ないくらいタスクの内容を明確に落とし込むことが出来るか。
出来ないことはないと思うし、ソレができる領域は、すでにやっている。
そして、その結果として、BPO(ビジネス・プロセス・アウトソーシング)が進んでいるし、
その中でオフショアもどんどん進行している。
ソレができない領域の仕事はどうか。
曖昧さを残したままのものに対し、
整理して付加価値をつけてアウトプットすることを求められるような仕事は、
作業を明確化することそれ自体に価値があったり、
それこそがホワイトカラーの仕事の本質だったりするわけで、
さすがに製造業のような環境は作れない。
じゃ、権限委譲しまくればいいか。
あんまり現場に権限持たせすぎてしまうと、
現場が暴走したときに止められなくなっちゃうから、難しいよね。
個人の作業においていくら生産性が高くなったとしても、全体としてはイマイチな感じが残る。
このことは、部分的に最適化を極めても、全体の効率に寄与できないという、
「The Goal」シリーズでエリヤフ・ゴールドラット氏が言い続けている全体最適理論も当てはめられる。
ボトルネックをカイゼンしない限り、アウトプットは増加しない。
むしろ仕掛在庫という負の資産を必要以上に背負うことになる。
だから、次工程が詰まっているときは、前工程は生産を続けるより、止めておくほうがよい。
というわけで、適度にサボリます。(結論がおかしい)
念のため、書籍紹介しておきましょう。読みやすい本なので、一度読んでおくとよいです。
はてな内でのザ・ゴールの紹介についてはこちらで。
ザ・ゴール ― 企業の究極の目的とは何か
*1:トヨタの行灯のやり方は、一時的に生産を止めるけど、その目的は「一刻も早く、余計なことを考えずに仕事が出来る環境を作るための仕掛け」とも解釈できる、というのは強引?