なからなLife

geekに憧れと敬意を抱きながら、SE、ITコンサル、商品企画、事業企画、管理会計、総務・情シス、再び受託でDB屋さんと流浪する人のブログです。

努力するとかしないとか

これが今の私の答え。

atsuizo 幸か不幸か80%くらいの力でやっつけられる仕事してる。おかげで、残りの20%で情報収集とか、目先のこと以外のことに時間取れてる。 link
atsuizo 「努力しない」とか言い出すからおかしなことになる。本当に必要なときに100%、120%の力を出すために、常に100%で使われっぱなしじゃダメだよ、ってのならまだわかるが。 link
atsuizo 「努力はほとんどの場合報われない。」とか、それどんな被害妄想。やらない理由を並べ立てているだけ。 link
atsuizo 他人からの「報い」とか「報酬」とか真っ先に気にするやつに限って、全力傾けないヤツがもっとも評価されないことをまるで理解してない。 link


評価と報酬の関係も、「本来、努力の度合いじゃなくて、結果(できればその数字)がすべてでしょ」という反応が予想できるけど、はっきり言って、人の評価なんてそこまで厳密じゃない。
数字オンリーの営業や金融系以外では「どんだけがんばったか=がんばっているようにみえたか」に左右される。そんなもんでしょ。


ちょっと話それるけど、この界隈に多いプログラマやSEやコンサル、そしてそれらや似たような「定量評価のしにくい仕事」に関与またはそれらを目指している人で、上のような「結果がすべてでしょ」と思っている人へのメッセージ。


評価基準がほんとうに明確になったら、すっげえ厳しいよ。
他人の目にも自分の目にも、肩書き/給与相当の仕事ができているかどうか一発でわかるんだから。


相当に透明性の高い評価基準が導入され、誰がどんなポジションにあるかわかる制度を導入した会社、休職者増えましたよ。理想的といわれる評価基準を追求した結果、昇進昇給基準がわかりやすくなった一方で、諸事情あって低迷しているときに自分で自分を簡単に追い込める道具になり、他人が他人を簡単に追い込む凶器になってしまったんだから。透明すぎて逃げ場ないんだもの。


不透明さに甘んじろ、とは言わない。けど、それによって自分自身が守られている部分もある、ということを認識したうえで、「結果」とか「報酬」とか「評価」とか語ろうな、って思う。