わかりやすい、って、むずかしい。
わかりやすい資料ってなんだろう?
ざっくりいうと、わかりやすい資料とは
- 伝える相手が求めていることが書いてある。
- 伝える相手の思考プロセスに沿って書いてある。
ってことなんだろうと思います。
私は可能な限り、事前に成果物イメージや期待するもののすり合わせを行なってから作業に着手するようにして、このギャップを埋めようとしているのですが、必ずしもこのプロセスがうまくいかなかったり、そもそも読み手と事前にすり合わせるという行為自体ができないことも多々あります。
ビジネスの現場では、ある程度共通となる常識みたいなものがあって、その一つが「ロジカルであること」。
もう少し噛み砕くと、矛盾がないこと、構造が整然としていること、あたりかな。
日本語では「理路整然としていること」という表現が、とてもしっくりきます。
そして、このロジックの部分に加えて「納得感」という、感情面での合意がとれた時、その資料は「わかりやすい」と評価されることが多いです。
ロジックを伝えるということ、ロジックが伝わるということ
ロジカルな人(ロジカル・コミュニケーションができる人)は、感情と論理をちゃんと切り分けた上で、「言いたいことは解る。が、賛成しかねる/納得感がない」とかいう表現で意見表明してくれて、非常にやりやすいんだけど、ロジカルでない人(ロジカルコミュニケーションを取るのがうまくない人)は、「わかりにくい」というフィードバックをしてくることが非常に多いです。
ここであえて、ロジカルな/ロジカルでない人、ロジカルコミュニケーションができる人/得意でない人という表現を使いました。
最近特に思うのだけど、ロジカルに考えることと、ロジカルに伝えることと、ロジカルに聞き取ることは、それぞれに異なるスキルが必要なんだ、ということ。
ロジカルに考えること
巷には掃いて捨てるほどのロジカルシンキングの本があり、日本人はいかにもロジカルにものを考えることが苦手であるかのように煽る傾向も強いです。
でも、みんな、自分の意見というものはある程度は論理だてて考えているもの。
自分の考えの中にある論理矛盾は気持ち悪いし、ソレに対して「ま、いっか」と思える程度の差こそあれ、指摘すればそれが矛盾であること自体はみんな理解できますし。
ロジカルに伝えること
考えはまとまっているのに、うまく表現できない。
このケースは結構多いです。
考え自体はしっかりしているのに、
話がアッチコッチに飛んでしまったり、伝えるべき本旨が薄れてしまうほど、余談が多かったり。
ロジカルに考えることを、自分の考えを構築するところには適用できているのに、伝えるという行為に適用できていない、残念な例です。
ロジカルに聞き取ること
今度は、自分側ではなく、相手の論理を理解する、相手の思考プロセスを理解すること。
ロジカルシンキングに強みを持っている人でも、これが苦手な人もかなり多いです。
自身のロジックが強固であることが逆に仇となって、違った論理構成といったものを受け入れる余地がなくなってしまっているタイプも非常に多いですね。
ロジカルに聞き取る、ということを疎かにすると、他者の意見を吸収する機会が少なくなり、視野が狭くなり思考が固定化するリスクが高まります。
自らのココロに壁を作るような状態。
また、そうした人に対して周囲は、「説明してもムダだ」と思ってしまうため、信頼関係の悪化し、意見すら言わなくなるなど、コミュニケーションが減少し、ますます視野狭窄が加速します。
結局、すべて自分に跳ね返ってきます。
ロジカルに考えること・ロジカルに伝えること・ロジカルに聞き取ること。
こうしたことを踏まえたコミュニケーションが
「わかった」
「わかりやすい」
という状況を生み出すのではないかと思っています。
すべてこなしても、どうしてもコミュニケーションが成立しない相手もいたりします。
矛盾を放置出来る人。ロジカルでないことに、なんのためらいもない人。
ロジカルに聞き取ろうとしても、矛盾だらけでまるで法則性も見えない人。
ロジックの矛盾を指摘してもまるで効果がなく、利き手側が断片的な情報から論理の再構成を手伝ったとしても、まるで理解できない人。
感情的な人。もう少し丁寧に言うと、「相手の話に耳を傾けられる心理状態にない人」。
議論を勝ち負けで捉えていて、負けたくないという思いが強すぎる人。
上司は常に部下より優れていなくてはならないという脅迫的観念に取り憑かれていて、部下から優れた意見を引き出せないタイプの人。
「お客様は神様なんだろぅ?おぅ?」と怒鳴る客タイプの人。
あたりでしょうか。
こうした人にわかりやすく伝えるための知恵は、残念ながら持ち合わせてないです。
ああ、わかりやすい、って、むずかしい。