亡き父の四十九日法要が無事に終わって
少し落ち着いてきました。ブログも少しずつ再開させようかなと思います。
父のいない実家で、母と話をしているときも、父はただ入院しているだけでまだ生きているかのような、いつでも会えるかのような感覚が抜け切れません。
納棺、葬儀、火葬、その瞬間瞬間は強烈な悲しみに襲われるのにも関わらず。
そして、自分たち家族と一緒にいる時の自然な表情をしている写真から作った遺影を見ると、今にも話しかけてきそうで、涙がこらえきれなくなります。
・・・まだ落ち着いてないじゃん。
昔のことを思い返してみると、自分が小学校1年のとき、今回亡くなった父の父である祖父が亡くなりました。
直系親族の死というのは物心がついてから初めての経験で、通夜から葬儀・告別式、納骨までの記憶は強烈に残っています。
一連のイベント自体は強烈な体験であったその一方で、当時もやはり祖父の死というものをなかなか現実のものとして受け入れきれず、なんとなく初めての儀式において身内側の席に座っていた、という感じです。
そして、自分の子供が小学校1年というタイミングで、私の父、私の子供にとっての祖父がなくなるというタイミング。
同じように、強烈な体験として残ったのではないかと思います。
男が比較的短命な家系なようで、父と祖父の年齢もほぼ一緒。自分の寿命が逆算できるかのようです。
あと30年。
元々あまり「生」というものに執着がない自分だけど、自分自身のことよりも、残される家族に何を残そうかという方面で、残りの人生どうしようとか考える機会が増えました。
父を超えるような立派な人間にはなれそうにはないけれど、せめて家族が困らない程度に、何か残せたらいいなぁ。