なからなLife

geekに憧れと敬意を抱きながら、SE、ITコンサル、商品企画、事業企画、管理会計、総務・情シス、再び受託でDB屋さんと流浪する人のブログです。

痛み

2つのエントリから思い出した「痛み」について、勢いで書こうと思う。


Yoshioriの日記: ライ麦畑で子供が落ちないように見張るだけの簡単なお仕事に戻ってはどうか?

あなたは
動かなくて批判だけする人なのか?
それこそ業界を良くはしないんじゃないか?
気付かずに自分が諸悪の根源になってないか?


出来ない理由・微妙な理由を1000000000個述べても現実は何一つ変わりません。


カミングアウト

この考え方を頭だけじゃなく身体で理解し、
正面から受け止められるようになるまでにすげー時間がかかった。
正直なところ、年単位で苦しみ続けていた。
立ち戻ったのは最近だ。


批評家タイプの人間だった
それでもまだ、学生くらいまでは「身体も動かすが口も出す」タイプに近かった。
就職活動の頃は、コミュニティで中心的な役割を果たしていたりもした。


会社人生活の中で、営業マンから訳のわからん仕事の依頼を
遠まわしに避けるテクニックを身につけた頃だったろうか、
身体よりも口の比率が高くなっていったように思う。*1



陥落
もともと、先頭を切って動くタイプではないと思っていた*2し、
何かを変えられるのは特別な人だけだと思っていた。
悪意なく、「動けないけど意見は言えるから、そんな形で貢献できれば」って思ってた。
そんな姿勢を批判されても、「分相応に役割を果たしていているんだ」くらいに思ってた。
こんな価値観を上司に容赦なくフルボッコされて考え方を矯正(強制)された。
「目隠ししたまま100m先の宝物を取りに行けと言われつつ、一歩でも道を踏外したら竹刀で百叩き」
みたいな環境(微妙な喩え)がしばらく続いた。
何がなんだかわからなくなった。


むしろ、変わることを強要されることへの恐怖心、洗脳?に対する抗体すら生まれてきて
余計に身体の自由が利かなくなった。


本当に、「何も出来ない人」「何もやらない人」になりかかっていた。


復活への道のり:序盤戦
まずは、精神の安定を求めた。これがないと、何も始まらないと思ったから。
本当にヤバいと思う人は、まずコレから着手して欲しいと強く願う。*3


オチているときに読んでいて、元気を取り戻すきっかけになった本は、
冷静になってみてみると、大体こんなパターンだ。

  • 目標を下げてよい/下げなさい
  • 後ろ向きでもいいじゃないか
  • 全部が自分のせいじゃない


立ち直るきっかけとしては十分だったが、何か物足りなさも残った。
そう思えるようになったら、中盤戦へ突入。


なお間違っても、このタイミングで読んではいけないのは、典型的なマッチョ理論のもの。

  • 前向き万歳/後ろ向きは犯罪
  • 超が付く自己責任論
  • 年収その他で成功者と比較(ダイヤモンドの特集記事とかにありがち)

ま、ほとんどのメンヘル系の情報で触れている話ですけど、本当に劇薬にしかならない。
劇薬は、体力の無い患者に飲ませれば毒薬に変わる。


復活への道のり:中盤戦
落ち着いてくると、前向き理論やマッチョ理論を「頭では」理解できるようになる。
半分は、憧れの対象として。
半分は、妬みの対象として。


頭では理解できているが、身体が動かないないから、もどかしい。
そこに来て他人からツベコベ言われると、なおさらもどかしい。
ていうか、うっとおしい。
「わかっちゃいるんだよ、コノヤロー」という感じだ。
ダークサイドへの揺り戻しも、なんどもやってくる。


復活への道のり:終盤戦
自分の中で闘っているなかで、ふとしたきっかけで、ブレイクスルーが起きる瞬間がいくつかある。
「エンジニア未来のサミット」もその1つだ。
発起人やパネリストたちはそんなことを考えていないかもしれないが、ここにいる1人の人間を、ライトサイドに引き戻す助けになったことは、まぎれもない事実だ。


大切なのは、自分自身が闘っているかどうか、という所だと思う。
周りがどんなに環境を用意しても、その環境因子を受け止める土台が出来上がっていないうちは、何も起こらないか、あるいは寧ろ副作用さえ起こす。


自分に変化を起こすのは、やっぱり自分だ。




振り返る

みんな「批判」するだけでなく良くしたいから「動いた」人たちだ。
こう言うと「マッチョだ!」「特別な人だから」的な事を言う人がいる。
はたして本当にそうだろうか?


悩まずにこの思想を貫ける人、すぐに動ける人は、一般的にマッチョと呼ばれる。
本人がどう思っていても、周りからはそう思われがちである。


日経新聞のキャッチコピーじゃないが
「私、気づいたんです。自分が変わらなきゃ、何も変わらない、って。」
の理論を、解ってない人、あるいは、解っているが動けない人が、相当多いと思う。
自分自身がそうだったのは、上に書いたとおりだ。


まったく解ってない人は、しばらくほっといてもいいと思う。
ここに属する人に変革を起こすことを100%ムリとは言わないが、
そこにパワーを割くよりも優先したほうがよいことがあると思うから。


解っていても動けない人には、何らかの配慮が必要だと思っている。
いや「必要=必ず要る」というよりは、「少なからず効果がある」と思うから、
手を差し伸べられるなら、やるべきだと思う。
少なくとも、ライトフォースの世界に手を伸ばしているのであれば、
そこに対して、何かしらのきっかけを与える小さな力にもなりうるのではないか。


私にとっては、
「半径5mから替える」
「自重はダークサイド」
「一緒に変えていこう。一緒に動こう」
の3つの言葉は、「差し伸べられた手」だと勝手に思っている。



少しずつダークサイドから引き戻された人が増えたらうれしい。
そうやって、動ける人が増えたら、
今問題になっているような「泥」の世界なんかもずいぶん改善されるのではないか。


一方で、解っているのに動けない人への配慮がないとき、マッチョ理論は嫌われる。
「痛い」からだ。わかっているが上に、突きつけられる事実は「痛い」からだ。
激しい痛みには、激しい抵抗を示す。肉体的痛みも、精神的痛みも同じだろう。

そんな「痛み」を知る者として、その辺の事情に配慮したアクションに結びつけることができたらいいと思う。


そんな私は、ダースベイダー卿が好きだ。
心の弱さからダークサイドに落ちて、命と引き換えの行動でライトサイドに戻った彼が好きだ。
ルークにはなれないかもしれないが、ルークを救える人でありたい。

*1:非公式なルートを使ってSEを都合よくお手伝い扱いする営業に対して「まずは上を通せ」と言って断っていた。いつの間にか、柔軟性のないオトナになっていた。

*2:それは今もあまり変わらないが、先頭を切って動く>>>先頭ではないが動く>>>>>>>口だけ動かす≒口も動かない、だと思っている

*3:無意識に電車に吸い込まれそうになる感覚は、体験せずに済むならそのほうがよい。絶対に。