モノサシを変える生き方(3)・・・どうなったか
またまた続きです。
前回の末尾では、自分に余裕を持てる環境を手に入れることで、その先の展開を自分で決められる、というお話までしました。
生産性の高さをそのまま100%出しきって突出したパフォーマンスを見せて数字を揚げるアプローチ。
平均以上だけど突出しない程度にとどめ、残りの時間と労力を、別のスキルを磨くために投資するアプローチ。
選択肢をもてる、という時点で、厳しい環境に身を置いてパツパツになっている時代とはぜんぜん状況が異なるわけです。
余裕があれば、いろんなアプローチを思いつくし、それを冷静に分析して選択することができるようになるのです。
私は悩んだ末に後者を選択して、読書と社外交流・勉強会参加などに徹底的に時間を割り当てました。
そこには想定してなかった状況があったからです。
コンサルで培ったノウハウは、自身の仕事のスピードアップや効率化に寄与することはデキても、そうしたスキル・ノウハウ自体を評価できる環境が無かったこと。平たく言うと、上司がその領域に無知過ぎて、スキル・ノウハウを同僚に水平展開させ底上げを図るなどの貢献をしても、自体はなんの評価にも繋がらないことが見えてしまったこと。まあ、事業会社はコンサルスキル自体をお金に転換することはデキませんから、評価につながりにくいのはあたりまえと言えばあたりまえですが、必要性の議論すらまともにできないのは想定外でした。
もう一つ。仕事をスピードアップしようとしても、別のところにボトルネックがあって、一人気を吐いても仕掛り在庫的なタスクばかりになってしまうか、組織間のカベでに阻まれて後続作業に必要な情報を揃えるところまで進められない、といったことが判明したため、結果が出るまでの全体のリードタイムを短縮できず、突出したパフォーマンスなど出せるべくもない環境だった、ということがあります。
もちろん、私自身に、そういう環境を突破できる力がなかったことも一因です。
できちゃうひとはできちゃうのでしょう。でも、現実として、
「生産性の高さをそのまま100%出しきって突出したパフォーマンスを見せて数字を揚げるアプローチ」
は、選択肢のようで選択肢ではなかったのかもしれません。
結局、仕事は1人ではデキませんから、ある程度あわせていくしかないんです。事業会社に転じてもすぐにコンサルに戻ってしまう人は、たぶんこの辺が耐えられないんじゃないかと。
それが良いか悪いかは別。適応して留まるにせよ、その人が判断して行動した結果、本人がHappyになっていれば、それが正解だとおもいます。
で、しばらく仕事面では悶々としながらも、社外活動に精をだしていました。
仕事そこそこ、コミュニティ活動で充実した生活、ってのも悪くないなー。
実際、そうした社外活動*1で得たものは非常に大きいと実感しています。