なからなLife

geekに憧れと敬意を抱きながら、SE、ITコンサル、商品企画、事業企画、管理会計、総務・情シス、再び受託でDB屋さんと流浪する人のブログです。

「そもそも論」の価値が低い3つの理由

何か問題に直面すると「そもそも〜べきだった」みたいなことをいう人、いますよね。
でも、聞いている側からすると、何か腑に落ちない。そんな経験があると思います。


それは、その「そもそも論」に価値がない、あるいは、著しく価値が低かったりするからです。


でも、行っている事自体は正論だったりするから質が悪い。


かといって、「正論振りかざすだけなら」みたいなこと言ったところで、なんにも解決にならないので、もう少し踏み込んでみたい。

  1. 「そもそも〜」と言ったとき、目の前の問題の解決に寄与しない。
  2. 「そもそも〜」と言っている人が、そもそもの話を検討すべき出会ったときに意見していない。
  3. 「そもそも〜」と言い出すと、話が広がりすぎて、今その場で話し合うべきテーマがぼやけてしまう。

1.「そもそも〜」と言ったとき、目の前の問題の解決に寄与しない。

大上段に構えて「そもそも〜だよね(キリッ」ってなっているとき、たいてい、目の前の問題の解決とかけ離れた話をしています。
(キリッを楽しんでるだけならそれでいいのですが。


ついこの間見かけた、「仕事がどうにも忙しくて帰宅が遅くなりがちなんだけど、それでもとある目標に向けて勉強したい場合の時間確保の方法について」の話に「そもそもそれってブラック企業だよね」みたいなやつが典型例。
その企業がブラックだろうがホワイトだろうが、とにかく時間がない中での時間捻出方法が必要なわけだし、人によっては、その方法で積み上げた勉強時間が、ブラック企業からの脱出のための有効な手段だったりするのに。


他にも、「どうにもこうにも数字が合わない」とかで悩んでいるときに、その業務の目的とかコンセプトとかの話を始めてしまうケースなんかも、ここにあてはまるかも。

2.「そもそも〜」と言っている人が、そもそもの話を検討すべきであったときに意見していない。

組織で上に立つ人ほどやりがち。人の上に立つ人は基本的に忙しいので、相談される度に一瞬にして状況判断して答えを返していくと、「このあいだ言ってたたこととちげーよ」ってなる人も多い。
ポジションの上下関係なしにしても、「そんな意見があるなら、それを話し合うべき時に言えよ」って思うことしばしば。


これでは、その「そもそも〜」が言っていることがどんなに的を得ていても、聞く耳もたれないですよね。


また、前から「そもそも〜」の話をなんども繰り返してきた、ってケースもたまにあるんですけど、結局解決できてない、ってケースもある。
これについては「解決できず、こうした問題引き起こしているんだったら意味なかったでしょ、」って切り捨てるべきか「今こそ、その「そもそも〜」について取り組むべき」ってするべきかは微妙なところ。

3.「そもそも〜」と言い出すと、話が広がりすぎて、今その場で話し合うべきテーマがぼやけてしまう。

会議では特に、「決められた時間の中で、決められたテーマについて、答えを出す」ってのが重要です。
お客さん相手の問題についての会議なんかだと、特にそう。


ここで「そもそも〜」って言い始めるのは、会議の破壊に等しい。
責任論の話に行き着き、解決策の方がおざなりになるケースも多い。


話を大きくしてもアウトプットなしでは価値が無いのが会議という物。


どうすればいいの?

直接害がないところで勝手に言っているブコメやツイッターのレベルなら放置でしょう。あとで参考になるかもしれませんが。
身近なところで、上司や同僚との間の場合、相手の性格や状況で「柔軟に対処()」するしかないですね。


具体的には

「目の前の問題にとりあえず集中して、本来どうあるべきかは別途時間つくって取り組みませんか?」という提案をする。

「暫定対処」と「根本対処」を意識させる。ビジネスマン的には美しいまとめなのですが、これが通用しない、あるいはこの考え方を共有できない相手はゴマンといるわけでして。

相手がスッキリするまで聞いてあげる(聞き流す)

言いたいだけのタイプにはこうするしかないですね。もう、問題の解決より、言い切ってスッキリしたい方が目的になっている人には反論しても意味がないです。


それこそ「(時間の浪費を最小限にするという)問題の解決にならない」。


まともに相手してあげる。

時間と精神力の浪費なので避けたいパターンですが、まともに話に乗ってこないと機嫌が悪くなるタイプには、他に対処方法が思いつきません。


だれか他にいい方法があったら教えてほしい。。。