みんな「れりごー」したら
「ありのままでいい」って、自分で自分を抑制していたブレーキを外して、それが「好き勝手動く」という状態に行くと、たしかに「れりごー」した本人はソレまで以上に行動的になり、ストレスもなくなるかもしれないけど、周りはたまったもんじゃないってケースあるよな。
にある
れりごーは2つに分解できるしたがって、れりごーは次の2つのステップに分解することができます。1.自分の心情を解き放つ2.あとはそれのゆくにまかせる
これ、会社でも個人的関係でも「ゆくにまかせる」ってやられちゃ困ること多いのよね。
また、ある個人にとっての「れりごー=ありのまま=ストレスのない世界」が、「秩序・調和のとれた世界」だとしたら、みんなが「れりごー」しちゃった環境は逆にすげーストレスに感じるはず。
そして、「れりごー」って曲解するとコレだよな。
もうどうにでもな~れ
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あと、「れりごー」しててもしてなくても「開拓者タイプ」ってのが存在してる。
その「開拓者タイプ」の人って、雑さを包含しつつも道を切り開いていくわけで。
そうした開拓者タイプに敬意を払いつつその切り開いたあぜ道を舗装するのが得意だったり好きだったりする人もいて。
そういう人無しには物事は成熟していかないんだけど、かなり軽んじられてるよなーっていう。
そういう人たちに、もっと光を当てたい。