コミュニケーションについて語る人
それは、
コミュニケーションについて悩んだことが無い人によって、
落ち込んだり、傷ついたり、悩んだりしたことがある人。
そうじゃない?
話を進める上で、少々乱暴だが、
前者を「ニブい人」、後者を「ビンカンなヒト」と呼ぶことにする。
ニブい人の何気ない、悪気のない発言に対し、
ビンカンな人は直接的、間接的に感じることがあって、
コミュニケーションどうあるべきか、と悩む。
結果、生まれてくるのは、このどちらかであることがほとんど。
- 自分が傷つかない、ダメージを最小化するための方法論(アサーティブとかもこっちかな)
- もっと相手に配慮しようよ論
前者は、傷ついて悩まされて、
なお自分のスタイルを変えることで改善されるんじゃないか、
と自分に責任を見出すという、とってもケナゲな姿勢だが、
ある意味被害者な方が責めを負い、自身を否定、変革するって、なんか理不尽。
後者は、武田鉄也的思考法の産物。
「人はぁ〜、悲しぃみがぁ〜、多いぃ〜、ほどぉ〜、
人にはぁ〜、やさしくぅ〜、できるのぉ、だかぁ〜らぁ〜」
そうした苦い経験から抽出されたエッセンスには、
世の中のコミュニケーションを円滑にするために、
話し手として行使することができる成分(テクニック)がたくさん含まれています。
経験上、
「コミュニケーションって難しい」って思っている「ビンカンな人」には、
人に配慮することができるタイプの人が多いです。
逆に、
「コミュニケーションって難しい」って思っていない「ニブい」人は、
それを言ったら相手がどんな思いになるか、ってのを、
想像しないで発言している傾向がある人が多いです。
致命的なのは、
「ニブい人」っていうのは、
これだけ巷にあふれているコミュニケーション論そのものに関心を示さない、
だから、「もっと相手に配慮しようよ論」は、その効果を最も期待したい相手に届かないので、
結局何の変化も生み出せない、ということ。
みんなニブくなれば、気にならないって?
そりゃ、アダムとイブに知恵の実を食べる前に戻れって言っているようなものだ。
コミュニケーションが難しいものだと気づいてしまった人間は、
そうじゃない世界に戻るのは至難の技だ。
そんなBack to the Future じみたことに成功するのは、
短期間に大成功して別人のようになってしまった成金経営者の末路みたいなヤツだろう。
みんなしてニブくなって、そんなヤツだらけの世界になったら、ヤダなあ。