いまさらながら、2008年の総括など。
遅い、遅すぎる。
(頭のなかで十万石饅頭のCMがよぎったあなたは埼玉県人確定w)
自分のためにも書いておきたかったので、機を失した感はありますが、
総括&豊富を書いておきます。
で、長くなったので、このエントリは2008年の総括編。
2008年の自分的七大事件
2008年の自分的事件は、以下のとおりです。
1.未来サミットに行った
後ろの2〜5のすべてに影響したのが、この「未来サミット」でした。
正確に言うと、ブログを始めたのは、「未来サミット」より前なのですが、正直なところ、私的メモを非公開で書き連ねる程度でよいかな、と思っていたのでした。
ですが、以前から購読していた、ひがやすおさんのブログで「十年泥」に関する言及があり、そこから開催告知直後に申し込みを行い、運良く抽選を通り、当日会場で参加することができました。そして、ライブでパネリストたちを見、そこから伝わってくるアツい何かに感化されました。とにかくパネリスト紹介の中で記されていたブログはRSSリーダーにすべて登録し、読み漁り、多大なる影響を受けました。その影響の結果が、ブログの方向性を変化させたり、Twitter始めたり、オフ会行ってみたり、転職したり、という行動に現れています。
未来サミット自体への評価というものは色々ありましたが、少なくとも私にとって、これほど大きな影響をあたえたイベントはかつてなかったかもしれませんね。
2.ブログ始めた
ブログ始めたのも、2008年からです。
それまで、「自分の中に、世の中に向かって発信するようなものって、ないなあ」などと勝手に思っていたわけです。
それでも、なんとなく、身近にいた人に影響されて、私的メモ程度でもいいから、何か残しておく場所として利用しようか、という感覚で始めただけでした。ほんと、「チラシの裏」もいいところです。
で、最初は「書評メモ」が中心でした。ほんと、自分の記録として。たまたま購入を検討している人が通りすがったときに、参考になれば、くらいの気持ちはありましたけど、その程度で、「読む人」というものをまったく意識していませんでした。
このころ、「ストレングスファインダー」ブームがやってきて、あまりミーハータイプではない私もやってみて、そしてなんとなくブログにアップしてみたわけです。流行に乗ってみた、ということもあり、アクセス数が若干増えた感じがしました。ところが、いまだにコンスタントにアクセスをいただいているエントリになってます。どういうわけか、googleの「ストレングスファインダーテスト」で一位表示される状態になっていたのが、その理由でした。
元々あんまりアクセス数の多くないブログですが、こんな感じでアクセスが増えたのがきっかけで、ブログを書くことが楽しくなってきた感じです。
その後、「はてな」の仕組み、そのコミュニティ性?を理解し始めてから、ブログを書く、という気負いから、「はてなの住人(笑)として生活」にシフトしてきた感じがあります。
3.Twitter始めた
はてな住人にTwitterの利用者が多かったことがきっかけですね。たまたま普段読んでいるブログにtwitterの引用があって、「この人、ブログのウラで何を話しているのかなぁ」と、ちょっと興味が湧いた、というのが出発点です。おかげさまで「面白くなるボーダーライン」といわれている100人くらいまでフォロワー増えてきましたし、実際面白いですね。最近騒がれているとおり、「時間喰い虫」でもあることが悩ましいところですが。
4.約10年ぶりにオフ会に参加した
オフ会再デビューは「情シスオフ」でした。いわゆる企業内「情報システム部」の人と交流を持とう、というヤツですね。情シス部員より、受託側に籍を置く人の方が多かったというオチはありましたが、勉強会としても有意義なものでしたし、その後の懇親会は、まさに「オフだなあ」って感じでした。
その後、タケルンバ卿とみねちんさんと飲んだ、というところで2008年のオフは打ち止めとなってしまいましたが、2009年はもうちょっとオフを増やしたいなと。
で、10年前のオフって、なんだったか、というと。。。就活メーリングリストのオフ会でした。
ちょうど、インターネットを利用した就職活動が本格化してきた時代ですが、このころはまだブログやツイッターなどといったももは皆無に等しく、学生同士の情報交換といえば、掲示板かメーリングリストでした。いや、もっというと、就職活動にメーリングリストを「活用」していた人の方が少数派だったかもしれません。そんな時代です。
当時、いくつか在籍していた就職活動用メーリングリストの1つで、重鎮的なポジション?で活動をしていたこともあり、自らオフ会企画者となって活動していました。当時そんな言葉はありませんでしたが、まさに「オフ充爆発しろ」って感じでしたね。
5.2度目の転職した
はてな界の名言?「要は勇気がないんでしょ」「自重はダークサイド」とともに、「未来サミット」で感化されたのが「今置かれている環境がどうであれ、それは現実。現実をどう受け止めて、どう行動するかは自分次第。」「自分の半径5メートルを変えてみる。」といった言葉に影響された結果、それまでもやもやしていたものがふっきれて、転職が「なんとなく考えている」から「決断」に変わりました。
で、今回は「受託開発以外の世界へ」というテーマを掲げ、業界問わず情シス中心に活動したところ、12月から今の会社で働くことになりました。
残念ながら、開発そのものからは完全に遠ざかっています。配属先はというと、企画部門、というお題目があるものの、企画のタネ自体はお上から降ってきて、そのタネを要件定義に毛が生えたくらいの苗に育てて、開発に流す部署です。言うなれば、一昔前に「コアビジネスに集中」という「ありがたいお念仏」とともに開発機能を子会社とかに切り離して企画機能だけが残りましたみたいな「骨抜き情シス」と似たような部署(例えがわかりにくかったらごめんなさい。開発経験のない設計者と同じニュアンス)です。が、実は会社として開発機能を別部門としてちゃんと持っているので、単純に「機能別組織厚生による弊害」の問題です。システムの知識も経験もないので作りのことを考えられないで、できあがったもの&作る人に文句言ってる企画部門ってヤツです。IT業界でもっとも嫌われる発注者ですねw。それが同じ社内なのですから、さぞかしウザイことでしょう。もちろん、双方の言い分は、それなりに一理あるわけですが、どちらも「全体最適」とか、「俯瞰的な視点」がまるでないので、会社という単位で見ればどちらもダメダメなわけです。
まあ、2009年は、このカルチャーをぶっ壊してやろうと。それを期待されて採用されたんだと、自分に言い聞かせて、不毛な荒野のなか、自分を奮い立たせてます。
6.2人目の子供が生まれた
ますます、自分の為の時間が取れなくなりました。ぐすん。><
そんななかで転職したわけですが、世界景気が急降下する中での転職活動だったりしたわけで、なかなか危ない橋を渡ってきているなあと、われながら感心してしまいます。そんなにリスクテイカーだったけか、自分。
最後に
本当は十大事件にしたかった。が、ネタが尽きました。
7番目であんなレベルですから、ひねりだしても、くっだらないものになりそうだったので。
そんな細部に紙が宿っていそうだったら、また何かの機に取り上げたいと思います。